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アドラー心理学「嫌われる勇気」を読んで [ワールドメイト・読書]

 「深見東州のぜんぶ私の歌、ぜんぶ私の話」 2016年2月19日放送分、2016年3月11日放送分で、深見東州先生が、アドラー心理学について言及されていました。そこで、アドラー心理学について書かれている「嫌われる勇気」。今回この本を読みました。

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え



 まず、深見東州先生の言及されていたことについて、「ワールドメイトブログ 豊かな人生を」さんが書き起こしています。
「深見東州のぜんぶ私の歌、ぜんぶ私の話」2016年2月19日後半

今でているアドラー心理学なんてね、トラウマなんかないんだと。そういう悲劇的な屈辱に満ちたような体験をしたものを、どうとらえるのか。自分がこのようにすばらしいものとしてとらえていく。とらえ方を変えるとトラウマなんかないんだと。 トラウマというものは実はないんだと。そのときの経験を自分がどうとらえるかなんで。トラウマになっているのは、とらえ方が悪かったわけなんで、とらえ直しをすればトラウマが消えていくと。 まあ、恐怖の体験でフラッシュバックしたりもするので、必ずしもアドラーさんのいうとおりではないんだけども、多くの人間というのは、対人関係で生きているんだと。 まあ、そういうことで、人の悩みはだいたい対人関係で起きてくるというのがアドラー心理学。どのような経験も、神道の言葉では、御魂の恩頼(ふゆ)となると。人生いいことも悪いことも、すべて自分の糧になっている。ご恩の「恩」と信頼の「頼」ですね。恩頼と書いて、「ふゆ」と読むんですよね、神道ではね。

 「深見東州のぜんぶ私の歌、ぜんぶ私の話」2016年3月11日

ここで、記憶に関して私がいいたいことは、アドラー心理学でよくいうのは、全ての悩みは対人関係で、いろいろトラウマというんだけど、それをどう捉えるか。 それが素晴らしい体験として今に生きているんだと、無理矢理にでも思うとですね、トラウマというのはないし、あっても消えるんだと。 だから自分にとってトラウマになっているんだけどトラとかウマが自分に住んでるというのは、その時の見たり聞いたりしたものをどう自分で捉えて、どう自分で位置づけするかっていうことを、自分でしっかり向き合うとですね、トラウマも消えるし、トラウマにならないわけなんだね。 そういうようなことを全ての人にいうのは難しいかもしれないんだけども、トラウマ、トラウマというふうに思っている人は、トラウマって実はないんだ。その時の体験が自分にとってどうなのかをプラスのほうに受け取るように自分で自分にいってきかせると、若干フラッシュバックがあってもだんだん消えてプラスなものとしていくと。まあ自分にとってですよ。



 さて、「嫌われる勇気」は、フロイト、ユングと並び「心理学の三大巨頭」と称される、アルフレッド・アドラーの思想(アドラー心理学)を、「青年と哲人の対話篇」という物語形式を用いてまとめたものです。大まかな話の流れは次のようになります。

●アドラー心理学は、トラウマを明確に否定します。そして、「人は変われる」を前提にし、過去に支配されない生き方を目ざします。そのためには、トラウマの議論に代表されるフロイト的な原因論を否定し、目的論を導入することになります。

●目的論とは、人は過去の原因に突き動かされるのではなく、自らの定めた方向に向かって動いていくというものです。たとえば、「不安だから外に出られない」という人に対しては順番は逆で「外に出たくないから、不安という感情をつくり出している」と考えます。

●アドラー心理学では、性格や気質、思考や行動の傾向のことを「ライフスタイル」と呼びます。たとえば「私は悲観的な性格だ」という言葉を「私は悲観的”世界観”を持っている」と言い換えてみると、変容させていくことが容易になります。ライフスタイルを変えようとするとき、変わることで生まれる「不安」と、変わらないことでつきまとう「不満」により、人は大きな”勇気”を試されます。アドラー心理学は、人が不幸なのは、過去や環境のせいではない、ましてや能力が足りないのでもない。ただ、勇気が足りない。いうなれば「幸せになる勇気」が足りていないと考えます。

●「人間の悩みは、すべて対人関係の悩み」であり、「課題の分離」を行うことで、悩みを一気に解消することができると考えます。

●「課題の分離」とは、「これは誰の課題なのか?」という視点から、自分の課題と他者の課題とを分離し、他者の課題には介入せず、自分の課題には誰も介入させないというものです。

●アドラー心理学では徹底して対人関係を問います。対人関係の出発点は「課題の分離」であり、最終目的地は、「共同体感覚」となります。具体的には、自己への執着を他者への関心に切り替え、「共同体感覚」を持てるようになることです。そこで必要になるのが、「自己受容」「他者信頼」「他者貢献」の3つになります。

●人は「わたしは誰かの役に立てている」と思えたときにだけ、自らの価値を実感することができるます。しかしそこでの貢献は、目に見えるかたちでなくてもかまいません。誰かの役に立てているという主観的な感覚、つまり、「貢献感」があればいいのです。すなわち、幸福とは「貢献感」のことをいいます。





 このようにして、見てきますと、「神道の言葉で、御魂の恩頼(ふゆ)という、人生いいことも悪いことも、すべて自分の糧になっている。」という受取り方の工夫をするのが神道的考え方。これに対して、アドラー心理学では原因論を否定し、目的論を導入するというものです。この部分が重要な差異となっているようです。

 最終的にはアドラー心理学では、幸福とは「貢献感」という主観的な感覚であると述べています。深見東州先生も幸福とは主観的な感覚であるとおっしゃっていますし、受取り方の工夫を説かれています。幸福については、深見東州先生の著書「大創運」に次の一節があります。

ところで、生きている限り、真、善、美、永遠、無限、広大、高潔、繊細といった言葉で表現される現象に出会う。その一方、虚偽、悪、醜、刹那、有限、偏狭、不潔、鈍感といった言葉で表現される現象にも遭遇する。これらをよりわけ、自分に真にプラスになるものだけを感じ取って生きることが、本当の幸せにつかみ方であり、それが「神の道」の一歩なのである。それを悟り方の工夫という。  神の道に行きつくところに、いかなる結果が待ちうけているかは、個々人によって異なる。それは、神の道を歩いた人がそのつど体験し体得することである。理屈ではないのである。つまり、生きる一瞬一瞬の間に、真、善、あるは美しいものを感じとることそのものが、そもそも幸せなことであり、それはまた、神なる存在を直接感知することなのである。


 今後もアドラー心理学に関して、他の本を読んでみようと思います。



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